2008年11月14日、笠木治郎吉の作品2点を所有していると聞くニュージャージーに住む、ジーンホバンさんのお宅を訪問し、80年前の祖父の作品と対面することができました。
明治3年生まれ、大正12年没する。出身は石川県金沢といわれる。
現在のかさぎ画廊代表である笠木和子の義父。
青年期に単身横浜に移り住み五姓田芳柳らの影響を受け画技を磨き、一時欧米に留学したと伝えられる。
また横浜で活動をしていた事情で作品の殆どが海外に流失し、柳行李いっぱいに保管していた下絵(デッサン)も関東大震災と空襲により消失した。子孫に残されたものは、古ぼけた顔写真と一点の下絵のみであるが、近年偶然高野光正氏のコレクションと出会う。
(因みに高野光正氏の父 時次氏は浅井忠のコレクターであり育ての親である)
平成15年7月より16年2月に亙って静岡県立美術館、府中市美術館、長野信濃美術館、岡山県立美術館にて開催された展覧会『もうひとつの明治美術』に高野氏所蔵の作品3点が出品され大きな反響を得る。
美術評論家 山梨絵美子氏 論評より抜粋
渡辺豊洲・笠木治郎吉を中心に(もうひとつの明治美術展、明治美術会から太平洋画会へ)
明治美術22年、日本で最初の本格派洋画団体『明治美術会』が小山正太郎、浅井忠らによって結成。・・・黒田清輝がフランスから帰国し、印象派風の作風を日本にもたらし白馬会を結成すると、多く洋画家たちが明治美術界から白馬会に移っていった・・・
このため明治美術会、後の太平洋会は旧派・脂派と呼ばれ、およそ100年間評価されず今日まで至っている。
本展覧会はこうした優れた才能を持ちながら、時代の波にのみ込まれていった作家たちを再び蘇らせたいという意向で企画された。本展覧会で初めて紹介される渡辺豊洲、笠木治郎吉などはそうした作家たちである。・・・
笠木は自らの求める密度の高い表現のために油彩でも水彩でもない独自の画材を求めていたように思われる。しかし公の団体展に出品しておらず、明治美術界展覧会出品目録にその作品名を見出すことはできない。
力強い作品を残しながら(語り継ぐ係累を持たなかった)笠木は、ほとんど忘れ去られてきたといってよいだろう。
・・・笠木のような作家(の発見により)、・・・日本美術界と容れられず海外に渡っていた作品が今日まで残されてきたことで、これまで気づかれてこなかった明治美術史のもう一つの面が浮かび上がってきたと言えよう。
これらの画家が百年以上の時を経て今日再評価の機会を得る過程にはひとりのコレクターが深く関わっている。
高野光正氏がその人である。
・・・日本ではまったく無名の作家の作品であるにもかかわらず、質の高い水彩が海外市場に多く登場することに気づかれ、継続的に作品を収集するに至った。
・・・笠木については当初何の手掛かりもない状態であった。
本展に出品される『提灯屋の店先』の筆力に驚いて購入されて以来、長い年月を得て画歴を明らかにしようとされてきた。
働く農夫などをテーマとした『田園讃歌』展が、2007年10月末から12月中旬まで埼玉県立近代美術館にて開催され、笠木治郎吉の未公開作品の『収穫』と『帰農』の2点が、モネ、ミレー、浅井忠等の名品を共に展示されました。
『収穫』は農家の家族が力を合わせ稲の脱穀をしている様子が描かれ、『帰農』は野良仕事を終えた母子の愛情溢れる表情が印象的でした。
笠木治郎吉は近年になってその作品が発掘されたため、ご存知ない方も少なくなかったのですが、その作品を眼のあたりにした方より大きな関心と賛辞を戴きました。皆様の応援に心より感謝致します。

今年9月にイギリスに笠木治郎吉の作品を所有している方がいるとの情報をオランダアムステルダムの画廊から得ました。70年以上大事に所有されてくださっておりましたが、遺族からのお願いということで快くお譲りいただくことができました。
【お願い】
笠木治郎吉に関する情報がありましたら、どんな些細な事でもお知らせください。作品には笠木光雪、J.kasagiでサインする場合があったようです。また作品の多くはイギリス、ベルギー、アメリカなどに存在していると思われます。
ご連絡先: yokoso@kasagi-garo.com